人生単純なことで

最も悲しかったのは

一番愛した人の前で

裸と裸で向かい合って…そんな

肝心な時に勃たなかったことなのだ

(その先の経験もあったのだけれど…)

 

離婚よりも捕まるよりも馬鹿にされ蔑まれるよりも捨てられ誰からも見捨てられたような気持ちになりひとりぼっちでただただ歩き続けたのだけれど…何よりも何よりも最も深く深く悲しかったのは勃たなかったことなのだ

ああ くだらない ああ くだらない ああほんとうにくだらない  ああバカみたい ああバカだ ああアホだ! ……でもほんとうだ

生きてて いい事がない ほんとうにほんとうにいいことがない…と 心底思ったのは 後にも先にもこの時なのだ

これから親の死、兄弟の死にも直面するだろう。しかしだ、それでもなお、俺は死ぬまで愛する人の前で勃たないことを最も悲しむのではないのか?(勃って繋がることがセックスの全てではないと言う議論はここでは置いておく)そして、わたしは未だ家族の死を経験していないので、わからないことではあるが…

あっ元妻の死…子の死…これは…これだけはわからない…

 

あなたは生まれた時から深い悲しみに包まれている。身近な人の死…肉親の死と共にあったあなたの人生、あなた自身が生きていく途上での世の中との摩擦で生じる悲しみも数多あったはず…あなたの悲しみは寂しさはわたしには計り知れない。

 

わたしの人間関係は…身近に肉親の死、父親とのナイーブな関係を抱える人と繋がり続くことが多い。わたし自身は、両親は健在で兄弟とも良好な関係を築いている。家の中が戦争状態という人からしたら、ずいぶんと恵まれている環境にある。そんなわたしが、何故こんなにも幼い頃からの家族の中での自らのアイデンティティの問題を現在まで抱えもがきそれでもなおこの世で立って生きようとする人たちと繋がるのか?

 

今日わたしは久しぶりに2足歩行を復活した。今日久しぶりに立ったのだ。単なる関連妄想だと言えばそれまでだが…

そして、ここのところわたしはウツであった、、原因は?…「トウシツの初期症状(統合失調型パーソナリティ障害)」…「AVの見過ぎや当時のストレスから起因するED」…「現在の仕事や人間関係からからのストレス」…「インドへ行ってコロナになったり、海外協力隊の挑戦と辞退による燃え尽き症候群」… … …そうだ!結局一番の原因は「人生で最も愛した人の前で勃たなかった」というただそれだけのことなのだ。以前ある人から「いいことが全く無い人生」と言われたわたしの人生…そしてそれが極まった時、わたしは再びウツになった

 

わたしは今のわたしなりに私のことを客観視した

 

何故あなたのことが大好きなのですか?

何故こんなにもあなたのことが好きなのか?

どうして?何故?…あ どのようにして!

…ああ!

一番近くにいた。母だ。母は幼い頃、実母を妊娠中毒症で失った。そこで母は兄妹も亡くした。やがて祖父は母の実母の妹(我々兄弟にとってはこの人がおばあちゃん)と結婚し、そんな父親が嫌いで、母は成人してからさっさと家を出た。…と言う話を聞いたのはつい最近のこと。

…かと言ってあなたに母を重ねているわけでは無い。あなたはあなただ。でも、母から産まれた私は母から何かを引き継ぎ、その身体をもってあなたと偶然出会い世界で一番好きになった。

わたしは死んだように生きていた。わたしは死んでいた。AVの見過ぎだ。バカだ。未だ勃たない。悲しみは続く。生き物としての役割をわたしは終えたのか?わたしは一時期婚姻関係を築き妻と二人の子をもうけた。ある蜘蛛のメスは交尾をした後オスを食べてしまう。生き物にもオスが子育てに参加する種もあるが、交尾をして種を残せばオスはもう不要となる。そうした動物たちの習性に乗っかって、今子供と共にいない自分の言い訳にしている。そうなのかも知れない。でも、わたしはヒトである。生殖のみのセックスをする存在では無い。遊びとして楽しみとしてお互いの愛に包み包まれ合うコミュニケーション繋がりとして。人として産まれたからにはもっともっと愛し合いたい。セックスが全てとは言わぬが全部が大事だ。わたしは欲張り。全部欲しい。

 

そして、あなたはこの世に生まれたことこの世に生を受けたことは「奇跡」と言う。ほんとうにその通りだ。私と元妻はもう婚姻関係を終了している。しかし息子と娘にとって元妻が母でありわたしが父なのだ。これは変わることのない事実なのだ。

 

 

何故わたしはここにいる。何故わたしはあなたと会ったのか。どのように?これからどのように生きる?

 

わたしは自らに問いかけている

常にそうしてきていた

 

わたしは今日ここから生まれる

わたしは肉に生きる

生身の人に発情する生き物に生まれ変わる

新たに生まれて

これから新しい生涯をはじめる

死ぬまで生きることを続ける

死ぬまで生きて死ぬ