朝、細かくなれる。

自己紹介が嫌なのは

他人向けの看板みたいな自分を曝け出し合うことだからだ。どうせ傷つき合うこととなるか、えっこんなやつだったのと文句を言う奴が出てくる

レンマディレンマトリレンマテトラレンマがある

教育はそもそも逆のことをやるものなのだ。イエズス会がメソッド化し修道院が体系化したのだし 近代でできたのだし「他人から見た自分を認識せよ」とばかり教えることであるし。

そもそも本質がそう言うもので『神ー人』、成り立ちの過程もそうなのである『主ー客』

近現代は分裂を教え作る過程なのだ。なのに私は元より本質的にトウシツの初期状態であったのだから、何をやってるのか何を教えられているのかがわからなかったのだ…

故に感度の高い人の中の両極は、はどこまでも単一を貫くか、バラバラになって拡散して希薄になって雲散霧消することをノゾむのだ

確かに前に進むことを望むのであればそうするのであれば極力記憶の呪縛から離れ今目の前にあるものを見ながら描くことが作ることの極北であるのかも知れない何もわからないことへと進む勇気ある立場であるのかもしれないいやがおうにも人々の評価の目には晒されるであろうがその道を選んだ人を覚悟を決めた人とする気持ちはある