自分が本当に本心から必要としている事なら、その実現に向けて考えなくても勝手に動いているのではないか?
とはいいつつも、すべての事象は低エントロピーから高エントロピーに向かう出来事の連続にすぎず、そもそも全ての事象に意味はないのではないか?
かといって、私が他者と関わり交わる事に何らかの意味を見出そうとしてしまうのは何故なのだろう。もはや私は私ではなく、私でなくもない状態。中動態とでもいうのだろうか、私の意志であり、私の意志でない。他者の意志であり他者の意志でない。そのどちらでもあり、そのどちらでもないような状態。そもそも、完全なる自己意識などないのではないか?最終的にはなるようになり、なったものが残る。しかし、その事象は常に変化し残ることはない。人の記憶に残ったものなどは、それぞれ違ったように刻まれる。しかも、後になっていくらでも書き換えられてしまうようなあいまいなものである。極端に言えば、後から、良くも悪くもなるものなのだ。

だからこそ、いま自分で決める。