あなたは時に

自分を表して「わたしは残酷な時がある。でも、自分ではその事がわからない。」と言うが、わたしはそうは思わない。

あなたは「野蛮」だ。これは褒め言葉だ。

つまり、他者から見たらあなたは残酷に振る舞っているように見え、その人から「あなたは残酷だ。」と言われる。そんな経験があなたには何度かあったのだ。

わたしからしたら、あなたは一見残酷なとも取れる振る舞いをするのだけれども、戸惑ったまま投げ出して、自分の身にも受けて、ちょっぴり美化して、その捏造する自分を自覚している。そして今は詩が書けずにいて、詩は他者があって書けるものだとも言っていて、モンダイは他者が持って来てくれるとも言う。そう考えると、あなたのは「野蛮」であって、単なる残酷ではない。わたしはそう思う。

あなたは「博愛だ。」と言われ、おんなじ人から「あなたの博愛は偽物だ。」と言われた。他の人からは、「あなたは気の多い純粋博愛主義者だ。」と言われた。

でも思った。後者の人が言った言葉にいま気がついた。この人はあなたのことを「博愛主義者だ。」と言っているのであって、果たしてあなたの行為のことを「博愛」と言っているのではない。でもその言い切らない態度が信頼を置けるし、この人の言葉の機微に惚れ惚れしてしまう。というか嫉妬する。こんな言葉に匹敵することを何気なくあなたに言えたらなぁ。それはまだまだだなぁ。あと、「言いたい。」というところで俺もまだまだなんだよな笑

そう思うと、あなたの行為を「博愛だ。」と半ば信じて、その後裏切られたと思い、自分の言葉を訂正して「あなたの博愛は偽物だ。」と言った前者の人もそれはそれで青いとも感じるけど、正々堂々としている。その後罵詈雑言を浴びせかけられ、あなたはそれを全部受けたとも言った。

あなたにこんなにもわたしが執着しているのは、わたし自身が野蛮であなたの野蛮に惹かれ、それだけではなく機微も兼ね備えているところに更に魅惑されているからだ。

語弊を恐れずに言うが、わたしもあなたもきっと血が濃い。いろいろ引き寄せるあなたはそのことを「原罪」と呼んで、自分に責任があるのだと感じている。わたしはこのようなことを「わたしらしい。」「わたしだ。」と感じているだけで特に名をつけていない。

わたしはバカでエロくて執念深くて気持ち悪くて危ない人間だけれども、あなたとは大切な友として接している。だからこそ妥協を許さずなんでも聞いてどこまでもあなたのことを探ろうとする。