人間は言葉を得た

生きていくために

存在するために

生き延びるための生存戦略として

しかし

もはや今

その言葉の獲得が

言葉で考えようとする身体が

枷となり

言葉によってのみ考え

その考えによって

存在の実存の問題が解決すると信じ切っているのであるならば

それはニンゲンの奢りなのかも知れない

うすうすそう感じたから

わたしは

ゴリラを見習おうと思ったのではないか

ゴリラは僅かに話す笑う

しかしそれにのみ頼らない

言葉にならないやり取りで体の触れ合いで

自らと自らの周りの同族を仲間を家族を

存続させようと

一人きりでありながら

周りの同胞と

生き延びるための行動をしている