時間を喜ぶことで満たす

日の昇る前メガネを取って道の真ん中を歩く

私は障害者だ、という実感がある

常に痛みに付きまとわれ右足を引きずり

メガネやコンタクトが無ければほとんどまともに世界が見えない

疲れやすく一日の活動時間も短くなっている

それなのに一日一日があっという間に過ぎてゆく

楽しいのは回復に向けてただ動くことができていたから

素のままで世界に漂うことができている感覚を感じるから

そして確実に死に向かっているということを自覚できるから

 

これでよかったのだ

わたしは、散々に奪われ収奪され略奪され踏みにじられ罵倒され馬鹿にされ人格を否定されてきた

でも実はわたし自身がそれを望んでいたのだ

こんなにもボロボロになってしまい、今となっては少し後悔もあるがもうそんなこと考えてもしゃーないのもわかってる

ずっとわたしは死にたかったのだ

そして、やることなすこと実は自傷であり、細かくちぎられた自死の一片だったのだ

わたしはずっと死ぬために生きていた

いや違うそれも中途半端にそれをしていたのだ

不貞腐れの人生を歩み続けていたのだ

わたしがわたしを生きることにわたし自身でブレーキをかけ続けていたのだ

もはや今となった。でも今からしかやれないので、今からできることをしている

この不貞腐れ体質わたしの中にも巣くっていたのだ

誰かの何かのせいにしている

しかしわたしもそのことを引け目に感じることはない

自分で何かをやる人を羨むが

別にわたしは雇われでやってきたことに引け目など感じる必要が無いのだ

 

さて、このどっちつかずの文章、状態

一つ言えるのは

状態を述べているので、これでいいということ

そして判断は周りが勝手にやってくれてなるようになっていること

わたしは私の身体で体内で