誰かによって自分がある
というのは
おかしいことなのかなあ
それは人によると思う
その方がわたしの場合生きててうまくいくと
思っている
目的的に、何かに向かって生きるというのは
ことごとくうまくいかなかった
もしかすると、その目的自体が違っていたわけで
目的が本物になれば
目的に向かうというのも悪くはないのかも知れない
思いついて、やろうと思うことがことごとく実現しているということは
自分すぎてもなく自分でなさすぎでもない
いいバランス
ニュートラルな状態にいることができているのだろう
いわゆるJAR状態