「スマホが神になる」と島田さんは言った。
皆、1センチは1センチという長さだという宗教を信じているし、お金でモノを買えるという宗教を信じている。
この国の人は自分達で気がつかないながらも、身体性を必要としている。キリスト教はその教義や霊性(ある一面身体とつながってもいる)を重視しているように感じる。
ムスリムの人たちは、より生活と教義が密着した世界に生きている。
更に身体性に切り込んでいるのは仏教やインドのヨギ達であると私は考える。(もちろんその哲学も含めて)
人は楽に生きてよい、そもそもヒトはダメダメなのだと、いかに伝えたらよいのだろう、どうしたら信じてもらえるのだろう…
上妻さんや+Mさんは、スピらないように万全の注意を払いながら、アカデミズムとは微妙な距離を保ちつつ在野に半身を置き高度な思考でそれを伝えようとされている。
私はわたしの世界で何をしようとしているのだろう。今の枠組みにも居づらさを感じるようになってきた