今思えば、全て何もかも

わたしのせいなのかもしれない

そんなの驕り以外の何ものでもないのだけれど

俺は真面目に生きてはいるが

結局原因は俺が作っている

俺が修羅場を作り

俺が何もかもをぶちまけている

それも意識しないで

だからやってることは彼女とあなたと一緒だ

そもそも

わたしは○さんとも○さんともあなたに寄り添ってくれる○くんとも半身不随の○さんともあなたの博愛を否定した○とも、本棚に本を飾っていて読んでいない○さんとも穴兄弟になったっていいと思っている(この言い方は暴力的だね…)。いいや、全員と会って話をしたいんだ。あなたはみんなでバトロロイヤル…の方を所望かな?

面倒くさいしがらみや思い込みという呪いやら何もかもを乗り越えて、捨て去って、そんなものそもそもはじめから無いかのように。私は、もはや無いという方を信じつつある…。

あなたはそのように振る舞った

だからわたしはそれが当たり前だと思って

あなたに接していたら

そうではなかった

あなたが苦しくなるのはその状況をあなたが作っているからだ

男同士を嫉妬を掻き立てる塩梅でしか会わせないからだ

でもその一人一人とやり取りしたいしその塩梅を配分を如何様にするのもあなたの自由だ

 

でも…ホントはそれは

あなたがあなたの信じるものをその実現を目指して

あーでも無いこーでも無いって

繰り返し取り組んでいる

実験や遊びのようなものだったのだね

 

あそっかぁ

同じようなことを私はしていた

 

私には作為的ではない作為がある

あなたにはあなたと一対一で向き合った存在と丁寧に向き合いたいという覚悟がそしてほとほとあなたを疲れさせる諦めがある

眠ることができないあなた

尻尾がはえているあなた

ああああ〜あなたが好きだ

俺は俺の主張をするがあなたはあなたで苦しいという

なら俺といちゃったら楽になるよとも思うけど

そうじゃ無い(この『そうじゃ無い』には空白と余白のようなものがある。)

「わたしはあなたのことを知らない。」という

「あなたは怖い。」という

「あなたは本当は優しい人じゃない。」という

皆まで言えと言われれば言うが、皆までは言わない

皆まで言ったところで、結局そうなったところで、自分自身で確かめて納得しないと意味がないからだ

それはわたし自身についてもそうなので

でも言ってくれと言われたら

このことについて言ってと言うのならば

全て事細かに説明をすることができる

そうするとたぶんわたしは膨大で過剰な言葉の応酬になってしまう

その時相対した人に対して、ピタッとくる簡潔でシンプルで分かりやすい返答がわたしは得意でない

言葉で全て伝えて完璧にやり取りできるとは思っていない

時に私は視野狭窄になりがちだ

凝り固まってきている

もうどうなでもなれ

それは投げやりでもなく

とは言えその言葉を少しでもそのままに伝わるようにしていこうという努力と研鑽はしていこう少しでも言葉を知ろうと言うことはしていこう

そしてあなたはその人その人の前で自分を変えて生きている

人を変えることなんてできないよ

好きだけで生きるのもつまらない

基準など常識など破壊したいものだ

っていうかもうしていた

一人で生きて無意識にそうしていた

意味をつけたり基準を設けたり

男同士で会って、彼女も交えて会って、話し合いたいものだ

それできないのかなぁ

嫌なら嫌なことはしないよ

それならそれでみんなの関係性についてみんなで話して何とかなりたいわ

こんな状態じゃ

わたしばかり割をくらっている

俺だけが会えていない

でも思ったのは、私にも嫉妬の感情があることだ

そしてわたしは不満を感じ人々のせいにしている。しかしそもそもこの人間関係に参加したのはわたしだ。わたしはわたしの意志で参加した。もうこれは理由がなく本能レベルで動いてしまったからだ。

なぜ愛を貪る人をわたしは引き寄せ

わたしはその人達について行ってしまうのだろう

愛に飢えているという点ではきっと一緒なのだろう

これは一生続くのだろう

わたしが欲しているのは

こういったゲームなのではなくて

過剰さなのであろう

でも、過剰な刺激は

ゲームのスリルの刺激にも近いのであろう

だから結局わたしも愛の不足を感じ愛を貪りみえない形でみんなに見てもらいたいと思っているのだろう

そもそもいろんなことは関係ないのだ

意味などないし

あるのは生まれて生きて死ぬだけなのだ

あなたのことを知らないと言われた

わたしは全てを言っていない

細く長く愛し続けけくれと言われたらそうする。しかしわたしには時々セックスさせて欲しい。セックスしないと我慢できない。

でも俺はそんなにセックスが好きではないのかも知れない

いつもいつまであるのだが

私の側に共に横たわっている肉体が無い

私と共に一緒に寝てくれる身体がいない

でもやっぱわたしは獣に近いのかも知れない

宗教の指導者も学校の校長も共同体の主催者もみんな同じに見える会社の経営者だ

 

人間が生まれ生きて死ぬ

自己を意識することを覚えてしまった

自分が楽しいゲームを国や組織やその場のルールに乗っかって楽しんで生きるだけだ

俺はもう楽しいことが無くなってしまった

 

それを楽しめるのが強いということなのか

わたしはこの身体を楽しく生きたい

遊び続けて生きていきたい

ならそんな考えでもなお繋がることができる人たちとやっていきたい

 

それは欲をコントロールすることなのか

溺れることなのか

身体という檻に閉じ込められているのは確かだ

知識という枷に縛られているのは確かだ

 

わたしはわかっていた

身体がわかっていた

人間は人間のすることをする

文化を作り歴史を作った

 

この人生をちょろいと思って楽しんで生きていきたい

世界を変えるとか社会を変えるとか

それって結局自分の都合のいいように世界がなって欲しいと思っているだけで、

それは70億あるわけで

そうしてグチャグチャになってるだけだ

動物と鉱物と宇宙と何等変わらない

別にスピでも何でもない

面白くするのは俺自身だ

眠くなるし疲れる肉体の耐用年数が落ちて来ているのだろう

そんなこんなを馬鹿みたいに話せる人がいないかなぁ

ただの本能に物質の生成と消滅に意味や名前をつけているだけなのだろう

スピとか宗教とか科学とか法則とかでより多くの人がわかりやすく心地よくコントロールしやすくできるようにしているだけなのだろう

ちゃんと人間社会を楽しんでいる

彼は生まれながらの強靭な肉体を持って生まれた人だ

だからわたしは彼と友達になった

全ての人がしていることは意味がない

だから一人一人に意味がある

「寂しいから宇宙はできた。」というのはその通りだと思う。

面白いことが無い

面白い人と会いたいだけだ

そしてそこそこ肉体を満足させて

暇を潰して遊ぶだけだ

 

でもだから俺はすごいとか

高いところから見るとか

全て一緒だなんて思わないで

個別具体的に

一人一人と出会い話し

楽しんでいこう

ニコニコしてそこにいて

わたしはあまりベラベラ喋らず

聴いて感じて

ただそこにいられたらなぁ

俺だってそうしているじゃないか

もういい

詠み人知らず

作者不詳になりたい

グリーンスリーブスやホタルノヒカリのようになりたい