今ピラミッドを建てることはできないでも突貫でほんの数年数ヶ月で一つの校舎を建ててしまう。恐ろしい宗教を信じて我々は生きているのだと感じられる。

 

修道院時代の晩課のあと、みんなで「キチガイ散歩」というのをしていた。

私は今たった一人でそれをしている

それで十分じゃないか

そこには歴史の積み重ねの知恵によって巧妙に仕組まれたシステムによって小さな平和な社会が形成されていた

今の社会はその場を積極的に作らないとそういう場はない

そこへ積極的にいこうとしないとその場に至れない

そこに辿り着くことすらできないほど気付かないほど

人々は疲弊している