ASDの元妻から

「私はカサンドラであなたはASD」と言われた。

 

ずっと思っていたのだが、彼女には基本的に思想がなく、ごく当たり前のこの世に流布しているいわゆる日本人的な一般常識やテンプレートのような人生をなぞるように生きる事が絶対的に正しいと考えている。自分の欲を満たす事が自分の我を通すことが絶対的に正しく、それに異を唱える他者の言う事は、自分が権威と認めた人に言われる以外は全て間違いか自分を否定するひどい人間と考えている。ものすごいわがままな人だと思った。思いやりは無いわけでは無いが、愛情は等価交換であった。つまり何かをもらったから同じだけ返すという思考。私はメンヘラ境界性パーソナリティ障害ASD女性の餌食に常になって来た。貪られ奪われボロボロにされて捨てられて来た。私はバカなのだろう。何度も何度も同じ事を繰り返している。でもお付き合いしていると、最終的にはその人たち皆から怖がられたり、あなたは本当は優しい人じゃ無いと言われた。

このケース実はそこそこあると思う

私の周りでチラホラ見かけるし、

私自身このような関係性に何度も呑み込まれた

 

まあ、何でもいい。発達障害でも何でもいい。

私はADHDASDでメンヘラ製造機なのだろう。

元妻はお金をもらう以外、私の存在をこの世から消し去りたいと考えている。純粋にお金を増やす事が、今以上に生活水準を落とす事なく常に上昇していく事が幸せだと本気で信じている。

実は彼女らの愛情のなさその等価交換性を感じカサンドラ状態になっていたのは私の方だったのだ。でもさらに思う。ADHDの私が彼女らに感じるのとASD彼女らが私に感じるのは同じなのではないのか。そのお互いのわからなさは同じなのでは無いのだろうか。お互いがお互いにカサンドラであるのではないのだろうか。本来の定義であれば、パートナーがASDである場合に感じる違和感コミュニケーション不全、情緒的関わりの無さを感じる事なのであるが。

そこからの対話ができなかった私が

ただ未熟だったというだけの話。

 

しかしそんな事どもも、単なる人の後付けに過ぎない。つまらなくこしらえられた社会に馴染むためのつまらない説明手段、装置、システム、病名、障害名に過ぎない。悔しさや悲しさはある。無いと言ったら嘘だ。でももうクソどうでもいい。

 

私は元妻が好きである。

今まで私なりに向き合った対峙し合ったあなた(たち)がただただ好きである!

私をボロボロにして睡眠薬を飲ませたEちゃんも好きである。

最初から私を利用するために近づいてきたYのことも好きである。

みんなに捨てられた。ボロボロにされた。互いに奪い奪われ合った。喰い喰われ合った。

でももうどうでもいいのだ。馬鹿みたいに今でもみんなのことが好きで、今でもセックスしたいと思っている。

もうそんな事どうでもいいのだ。わからなくてもわからないのが当たり前で、喧嘩でも話し合いでもずっとやりあえればいいのだ。

それでも何でも一緒にいてくれたらいいんだ。わたしはこれからここからいなくなるのではあるが。

依存的でとても嫌な感じのする人がいる。私の出発を無意識に邪魔しに来ている人がいる。勝手に話を進め、親切のようなことを押し売りしてくる。でもこれも単なる分析だ。良くも悪くもない。私は本当にここを離れたいのだろうか。疑わしくなってくる。やる事がある。やる事をやる事として淡々とできたらなぁ。まぁいいや。いつもできている。今を見て波に乗ろうとし、粒の上をポンポン跳ぼうとしている。