我々の土地は豊穣で植生の豊かな土地なのである。これほど南と北のものが混ざり合って存在している土地はないのだ。だからすでに多くを受け芳醇の中に生きている我々は、その中で祈る時もストレートに現世での利益を願うのだ。慎ましやかに。あの苔むした古〜い朽ちようとしている寺社仏閣から発する雰囲気に包まれた時の心地を私は求めていたのだ。信仰というものが、この地で生まれた私にはその様なところから産まれ出てくる発生する発現し現れるのだとぼんやりと考えていたのだ

 

一方彼らは絶対的な強靭な大いなる存在の力による奮起が必要であるのだ。住んでいる土地からは、ほぼほぼ、拒絶される。こんな時に傍らに絶対的な存在がいてくれるほど有難い事はない。信じて信じきることにより自らを奮い立たせ、絶望の中で内からの生きようとする力を奮起させ発破をかけるのである。一神教とはその様なものであるのではないのか。信仰とは信仰とは。ムスリムの信仰とは。ヒンドゥーの信仰とは。真言天台密教の信仰とは